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工業図案科の設置と図案教育の重視

手島精一(1850-1918)は、1894(明治27)年に附設工業教員養成所を設置した3年後に同所内に「工業図案科」を新設しました。その意図は、陶磁器や漆器・木工品、織物といった伝統的な工芸品の近代化と販路拡大には、当時急速に発達してきた印刷技術の応用に適した新たな意匠「図案(Design)」の開発と、それを担う人材の育成が必要と考えたためでした。工業図案科の教員には、当時としては数少ない海外におけるデザイン教育経験者が集められました。

工業図案科の授業では、3年間かけて意匠図案を学ぶ図案実修と、その図案を実物に応用する工場実修に最も多くの時間が割かれました。工場実修では、最初の2年間で木工、金工、製版、漆工、窯業、染織の全ての分野の特性を幅広く学び、最終学年ではその中から1つを選び、その分野での図案応用を習得するプログラムが組まれました。

こうした図案重視の教育は、他分野の中でも特に密接な関係を持つ窯業科の教育内容に影響を与え、1905(明治38)年には「図画及図案」という科目が窯業科に登場します。窯業科でこの「図画」を担当したのが、板谷波山(本名・嘉七、1872-1963)でした。1894(明治27)年に東京美術学校彫刻科を卒業し、石川県立工業学校教諭として木彫科や陶磁器科を担当していた板谷は1903(明治36)年に東京高等工業学校に着任しましたが、当時はまだ陶芸家としての実績はほとんどなく、しかし窯業協会雑誌に新作図案を連載するなど、図案に強い関心を持った「陶芸デザイナー」の走りと呼べる存在でした。

工業図案科と窯業科をつなぐ存在としては、他に1914(大正3)年に工業図案科(選科)を卒業したのち窯業科の講師として「図案」を担当し、のちにガラス陶芸の第一人者となった各務鉱三(1896-1985)もいました。

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図案科実習室
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図案科製版工場


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