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ロボット学事始めとロボコン ― 森政弘

森政弘(1927年三重県生まれ)は、1969年に東京大学生産技術研究所から本学制御工学科に教授として着任しました。

東大生産技術研究所時代の1967年に、研究室内で創造性開発のために「自分が乗って階段をのぼることができる機械」というテーマのアイデアコンテストを企画しました。その時優勝したのは、当時大学院生であった村上公克(まさかつ)君のアイデアです。展示されている6足歩行ロボットは、そのアイデア実現の予備実験として試作された模型で、どこでも歩くことができる機械―General Automatic Walking Machine―という意味で、GAWALKと命名されました。1969年、森が本学への転勤に伴って、東大から本学へと移管されたものです。

当時、ロボットなどというものは架空の観念的存在であって、それを大学でのまじめな研究対象として取りあげるという通念はまったくありませんでした。そのような時代に、生物からヒントを得た機械ないしは動物に似た機械という発想を機械工学界へ注入し、我が国のロボット時代の前奏曲を奏でたのがこのGAWALKでした。

GAWALKはたんに工学畑ばかりでなく、身体障害者福祉の世界からも注目を浴びました。強度、軽量化、耐久性など実用上の点は未検討であり、改良の余地は多々ありますが、これがロボット工学の発祥として機械工学の領域を広めるトリガーとなり、制御工学に新しい応用の道を開き、福祉工学にもインパクトを与えたという技術史上の意義は、大変大きいものがあります。

1970年には、東大生産技術研究所時代の森のもとで講師として研究を進めていた梅谷陽二(1932年大阪市生まれ)が、本学機械物理工学科に助教授として着任しました。そして、1971年、梅谷研究室に、広瀬茂男(1947-)が修士課程学生として進学してきます。本学では、生物の運動や構造を力学的に解析し応用するロボット研究(Biologically Inspired Robots)が進められていきます。

森は、東大時代から創造性開発のための教育に強い関心を持っており、東工大(東京科学大学の前身)では、1981年夏に、「単一乾電池1個のエネルギ源で、人が乗った車が走りうるだろうか。その競争ができたらおもしろい。」と考え、学部3年次の「制御工学設計製図」の授業で実行することを提案しました。最初の実施は1982年10月からの授業で、実施段階では乾電池2個となりました。

この授業は、のちに「創造工学演習」と名前は変わり引き継がれ、1988年の「アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテスト(通称:高専ロボコン)」の開催へとつながっていきます。今では、小学生から社会人に至る各階層に広がり、国際大会まで開かれるようになりました。森政弘はロボコンの生みの親で、本学はロボコン発祥の地です。




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