東京科学大学博物館

東京科学大学博物館(東京・大岡山)のnoteです。ここでは、展示品の解説や、刊行物などの情報を共有していきます。

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    東京科学大学博物館の企画展示の解説を集めました。

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    東京科学大学博物館に展示中の収蔵品の解説を集めました。

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    東京科学大学博物館に展示中の資料のうち、窯業関連の解説を集めました。

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    東京科学大学博物館に展示中の資料のうち、世界的に価値のある技術遺産や、紡織学科実験工場で使用された機械類の解説を集めました。

記事一覧

高安定水晶振動子の実現 古賀逸策

空気圧の産業界と人間の生活への応用 基礎技術:等温化圧力容器 名誉教授 香川利春

ニューダイヤモンド -機能性炭素材料の魅力- 科学技術創成研究院 教授 大竹尚登

数理モデルで推し進めるファッションのDX ビネット&クラリティ代表 安田翔也

ナノファイバーが創る地球環境 谷岡 明彦

コガネムシの色鮮やかな体表を化学する -生物ナノマニュファクチャリングの不思議の世界  渡辺順次

ロボット学事始めとロボコン ― 森政弘

型染絵による美の表現 −芹沢銈介

工業図案科の設置と図案教育の重視

蔵前キャンパスの整備

米国で建築学を学んだ初代建築科長 −滋賀重列

フェライト研究 加藤与五郎・武井武

絶対零度への挑戦 —木下 正雄 ・ 大石 二郎

オートファジーの仕組みの解明 ー大隅 良典

「電気を通すプラスチック」の発見 ー白川 英樹

高安定水晶振動子の実現 古賀逸策

 板状の水晶に交流の電圧を加えると、水晶板の大きさに応じた、ある固有の周 波数で電気信号が強調される。この性質を利用した〈水晶振動子〉という小さな 部品は、私達の身の回りにある、通信機器や時計などの電子機器に用いられている。 古賀逸策は、この水晶振動子の高精度化と実用化を飛躍的に進めた。この水晶の性質は 1922年ケイディーによって発見され、翌1923年にはピアースが真空管と組み合わせ、無線通信に利用する発信回路を開発する。1929年、東京工業大学(東京科学大学の前身)助教授

空気圧の産業界と人間の生活への応用 基礎技術:等温化圧力容器 名誉教授 香川利春

0.前書き みなさん、こんにちは。 まず最初に自己紹介させていただきます。私は1974年に東京工業大学(東京科学大学の前身)制御工学科を卒業して計装メーカ技術部に2年間在職し、その後東京工業大学(東京科学大学の前身)制御工学科の助手、講師、助教授、教授として務めて4年前に定年退職しました。学部の成績はやっとこ半分以上との感じで、学生時代はオートバイや登山に夢中になっていました。それでも大学の研究者である以上、研究分野を持ってなんかやらなければとの気持ちを持っていました。そ

ニューダイヤモンド -機能性炭素材料の魅力- 科学技術創成研究院 教授 大竹尚登

1.はじめに  この展示の主役である炭素は,様々な顔をもちます。全ての生物は炭素なしには存在しませんし,炭もその名のとおり炭素が主成分です。地球温暖化の元凶と言われる二酸化炭素も炭素と酸素で構成されています。そして炭素は,科学技術と産業の視点からみると,とても魅力的な材料でもあるのです。薄膜としての炭素材料の分類を図1に示します。 図の上の頂点は,炭素が四面体のような構造で結合(sp³混成軌道により結合)していることを示し,ダイヤモンドはこの頂点に位置します。また,左下の

数理モデルで推し進めるファッションのDX ビネット&クラリティ代表 安田翔也

会社設立の経緯を教えてください 振り返ると、学部入学から博士卒業まで10年間東京工業大学(東京科学大学の前身、以下、東工大)に所属していたことになります。入学当初はとにかく”生物っぽい”実験がしたいと思っていましたが、専門科目を学ぶうちに生物を数理的な側面から見ることへの興味が増しました。そこで、卒研ではウニやヒトデの卵割の実験を、修士ではマイクロサイズの人工細胞に関わる研究を、博士ではマウス免疫細胞の生存力を数理モデル化して卒業しました。細胞を扱うという点は一貫しています

ナノファイバーが創る地球環境 谷岡 明彦

はじめにナノファイバーとは、直径が1nmから1000nm(注1)、長さが直径の100倍以上の繊維状物質(毛髪(約Φ0.06 mm = 60 μm)の100分の1から1000分の1の太さを持つ超極細繊維)です。ナノファーバーはアキレス腱、骨、遺伝子などのように身近に存在するものですが、工業的にも作ることができます。工業生産方法としては高電圧を使用するESD(Electro Spray Deposition:一般的には電界紡糸法とも呼ばれ溶媒に溶解した高分子を利用)や異なった高分

コガネムシの色鮮やかな体表を化学する -生物ナノマニュファクチャリングの不思議の世界  渡辺順次

はじめに 展示物①のコガネムシを眺めてみてください。まずはそのメタリックな色に目を奪われます。メタリック色とは反射光の強度が強いということです。また、見る方向を変えると色が変わることにもすぐに気が付くと思います。垂直方位から水平方位へ目を移すと色はブルー側にシフトします。これら二つの特徴のため、特定の波長の光を吸収して色付く染料とは異なり、ときおり神秘的なほど深く、美しく輝いて見えるのです。 ここで皆さんは、多くの疑問を持たれることと思います。自然科学の研究は全て、なぜ?か

ロボット学事始めとロボコン ― 森政弘

森政弘(1927年三重県生まれ)は、1969年に東京大学生産技術研究所から本学制御工学科に教授として着任しました。 東大生産技術研究所時代の1967年に、研究室内で創造性開発のために「自分が乗って階段をのぼることができる機械」というテーマのアイデアコンテストを企画しました。その時優勝したのは、当時大学院生であった村上公克(まさかつ)君のアイデアです。展示されている6足歩行ロボットは、そのアイデア実現の予備実験として試作された模型で、どこでも歩くことができる機械―Genera

型染絵による美の表現 −芹沢銈介

芹沢銈介(1895-1984)は、静岡市でも屈指の呉服太物卸商「大石商店」の7人兄弟の次男として生まれ、1913(大正2)年に東京高等工業学校図案科に入学して工業デザインの基礎を学びました。卒業後は、故郷の静岡市に戻って静岡工業試験所の技師として地元静岡の業者や職人に蒔絵・漆器・木工・染色・紙などの図案の指導を行い、その後も大阪府立商品陳列所図案課技師として意匠図案の調査・研究を行い、工業デザイナーとしての実績を積みました。 芹沢は、1927(昭和2)年に柳宗悦の論文「工芸

工業図案科の設置と図案教育の重視

手島精一(1850-1918)は、1894(明治27)年に附設工業教員養成所を設置した3年後に同所内に「工業図案科」を新設しました。その意図は、陶磁器や漆器・木工品、織物といった伝統的な工芸品の近代化と販路拡大には、当時急速に発達してきた印刷技術の応用に適した新たな意匠「図案(Design)」の開発と、それを担う人材の育成が必要と考えたためでした。工業図案科の教員には、当時としては数少ない海外におけるデザイン教育経験者が集められました。 工業図案科の授業では、3年間かけて意

蔵前キャンパスの整備

隅田川沿いの蔵前キャンパスは、江戸時代には幕府の年貢米を収蔵する米蔵が立ち並ぶ「浅草御蔵」と呼ばれた土地で、1882(明治15)年に上野に移転した「浅草文庫」の跡地が東京職工学校の土地として交付されました。その年の12月には洋風煉瓦造の校舎が、続いて拡張された敷地に各学科の工場が竣工し、実業学校としての教育環境が整いました。1890(明治23)年には第二代校長として手島精一が着任し、校名も東京工業学校に改名されました。 日清戦争が終結した1895(明治28)年頃から技術者の

米国で建築学を学んだ初代建築科長 −滋賀重列

滋賀重列(1866-1936)は、1902(明治35)年に設置された建築科の初代科長を務めた人物で、蔵前キャンパスの本館をはじめとする主要建築を設計した、本学最初のプロフェッサー・アーキテクトです。  滋賀重列は、徳大寺家の家職を務めた滋賀家に長男として生まれ、幼少時は錦華小学校(現・お茶の水小学校)から府立一中(現・日比谷高校)へと進学し、どちらも一期生として卒業しました(ともに夏目漱石と同級)。その後、1887(明治20)年に米国に渡って現地で語学を学び、1889(明治

フェライト研究 加藤与五郎・武井武

加藤与五郎・武井武によるフェライト研究フェライトとは、酸化鉄を主成分とする磁性材料で、戦前から戦後にかけてスピーカーやモーターの磁石、磁気テープやコンピューターの磁気ディスクなどに使われ、現在でもテレビやパソコン、携帯電話、ハイブリッドカーや風力発電など、電気・電子機器の小型・薄型・高機能化、省エネ・省資源化にも大きく寄与し、現代エレクトロニクス社会を根底から支えています。 フェライトは、1930(昭和5)年に東京工業大学(東京科学大学の前身校)の加藤与五郎教授(1872-

絶対零度への挑戦 —木下 正雄 ・ 大石 二郎

絶対零度は-273.15℃ 高校の教科書に載っているこの数字の小数点以下2桁目の決定打を放ったのは東京工業大学(東京科学大学の前身)でした。 本学が大学(旧制)に昇格して間もない頃に新設された物理学教室の木下正雄と大石二郎は、測定の中でも最も難しいとされる温度の精密測定に成功しました。 ドイツ滞在中に、日本の温度測定技術の未熟さを指摘された木下は、1932(昭和7)年に本学に着任すると、大石を助手として呼び、温度の精密測定に取りかかります。既に世界では2つのグループが精

オートファジーの仕組みの解明 ー大隅 良典

研究概要 オートファジーの歴史は、半世紀以上前に遡ります。1963年、ベルギーの生化学者のクリスチャン・ド・デューブ博士は、細胞が自身の細胞質成分の一部を膜で包み、消化酵素を含む小器官の「リソソーム」に運んで巾着状の小胞を形成し(オートファゴソーム)、分解する現象を観察し、オートファジーと名付けました。 オートファジー(autophagy)という言葉は、ギリシャ語で「自分」を意味する"auto-"と「食べる」を意味する"phagein"に由来します。しかし、生化学的解析など

「電気を通すプラスチック」の発見 ー白川 英樹

研究概要白川は、東京工業大学時代、神原周教授らに学びました。研究室では、助手の旗野昌弘らが1960年代初期からポリアセチレンの研究をしていました。当時のことを、白川はこう記しています。 (白川英樹「現代の錬金術-電気を通すプラスチック」ILLUME Vol.2, No.2 第4号, 1990, 東京電力エネルギー未来開発センター発行) 1967年、研究生がポリアセチレンの合成を経験してみたいと申し出てきたので、白川は、実験の方法などを教えたところ、暫くして、実験を失敗した

電気計測器

展示されている電気計測器類は、長年にわたって電気電子工学科の学生実験室に設置されていたものです。1924(大正13)年や1925年に購入された米国Weston社製の直流電圧計および電流計・電力計などは、1923年の関東大震災後、蔵前から大岡山にキャンパスが移転した際に購入されたものだと考えられます。それが90年もの間、使用可能な状態で残されていたことは驚きです。 長年大事に使われてきた理由の一つに、電気主任技術者制度があります。電気主任技術者は、事業用電気工作物の工事、維持